Reise I
昨日の朝、一週間の旅から帰ってきました。なかなか盛りだくさんな旅でした。さぁこれからゾクゾクと記事を載せていきますよー。
:: その壱 ( 5/30 – 6/01 ) ::
出発したのは5/30(火)。町へ出てゲーテに行ってコンサート&CD制作関連の用事を終えるため駆け回ったり、家賃諸々の入金をしなきゃならなかったりとバタバタな一日でした。一部の仕事は残ってしまったけれど、どうにか出発できる状態にはなった。急いで家に帰り荷物をまとめ、あまり荷物の確認もできず&のんびり出来ないままの出発でした。買っていきたい物もあったんですが、時間がないのでパス。Freiburgを出発したのは20時半でした。
第一目的地はBudapest(ハンガリー)、列車での旅です。Baden-Badenで乗り継いだWien行きの列車は、かの有名なオリエント急行。Paris(フランス)→Wien(オーストリア)を17時間くらいで走ります。切符には何も書いてなかったので、時刻表を見て初めて列車名を知りました。
ところが来た列車を見てみれば、ごく普通の夜行列車でした。まれに豪華な仕様のが走ってるらしいですが、普段は普通の夜行列車です。乗ったのは座席車でしたが、意外と作りに余裕があって、窮屈さを感じることなく眠れました。
ところで、Wienはまだ「オリエント」じゃないのでは?と思ってしまうのは僕だけでしょうか。
早朝のWienで乗り継ぎ、Budapestへ。もう3時間で到着です。いやー近い近い。国境地帯には無数の風力発電機が並んでました。緑一色の広大な草原に無数の風車が並ぶ姿は、なかなかのものでした。
もうすぐ到着だなぁと思っていたら、異常発生。なんか焦げ臭いなぁとは思ってたんですが、列車が白煙を吐き出しました。もちろん蒸気機関なんかじゃないですよ。客車の下からです。そしてついに、Tatabányáって所で緊急停車。
あーやばいなーと思ったんですが、数分間だけ車体をチェックして、なんと再出発。結局30分だけの遅れでBudapestに到着しました。お客の一人が「大丈夫なんですか?」って聞いてたけど、車掌は「なんもないよー」ってな感じ。なんだったんでしょうね。
Budapestに来るのは、記憶のある範囲でも3回目。異国の地で言葉も分からないけれど、なんだか慣れた感じです。迎えに来てくれた友人達と昼食をとり、さっそく夕方からは第一のイベントでした。
↑写真をご覧ください。そうです、オペラ劇場です。本格的な劇場でオペラを観る機会を得てしまいました。しかもなんと、あの客席背後にそびえるボックス席で。オペラを実際に観るのはこれが最初。最初の観劇を最高の状態で体験できるなんて… しかもこれ、友人の祖母の「御招待」でした。ありがたや、ありがたや。
ちなみに出発前に友人から「綺麗な格好を用意しておいてね」ってメールをもらってたんですが、当然そんなものもってないし、バタバタで買う時間もなかったので、旅の格好のままで行ってしまった罪な私です。
演目と感想については、後に回しましょう。
翌日はのんびりと過ごしました。町中の散策ですね。天気が良かったので、とても気持ちよかったです。午後は一人でドナウ川沿いを歩き、最後はVásárcsarnok(屋内市場)へ。いやぁ太陽の下を歩いて喉が乾いた後に飲むビールって、美味いっすよ。日本で暮らしてた頃はビール嫌いだったのに、体がすっかり欧式に馴染んでしまったようです。ちなみにハンガリーのでは、Arany Àsokって銘柄がお気に入り。
夜になり、いよいよ出発。まずは郊外にある友人の叔父宅に寄って、一家勢ぞろいの今回のメンバー7人が結集。軽く夕飯を食べ、午前1時頃にルーマニアへと出発しました。
今回劇場で観たオペラは、Richard Wagnerの”Die Meistersinger von Nürnberg”。出演はハンガリーの人達ですが原語ドイツ語での上演でした。といっても、歌のドイツ語を理解するのは、私には無理でしたけどね(笑)。舞台上(天井近く)にLEDの表示板があって、ハンガリー語の字幕が出てました。どっちにしろ私には理解できないんですけどね(笑)。
開幕前の序曲で、アリナミンAで有名な(?)テーマ曲がさっそく登場。3幕5時間に渡る大作が始まりました。
演目の内容や演出についても書きたいことが色々あるのですが、まぁそれは一度実際に観ていただくとして、今回は自分の率直な感想を書いていこうと思います。
話の内容を知らない&何言ってるか分かんない状況での観劇だったわけですが、とある強烈な印象を受けました。それは、「舞台がまさに一人の人間のようだ」ということでした。当たり前ですが舞台上には数十人の役者達がいます。オケピに演奏者たちもいます。何十人もの人達が舞台を作り上げているはずなのに、けれどそこには一人の人間(というか魂というか)だけがいるような印象を受けたのです。
気付いたのは第一幕の後半くらいから。何十人もの役者達はそれぞれの言葉を歌っているはずなのに、誰一人その人自身の心の言葉を話し
ていない気がしました。というか、何十人の体を通して、ただ一人誰かが語っているような印象を受けました。
第一幕中盤あたりはひどい眠気に襲われてしまったのに、それに気付いて以来、第三幕の最後の最後まで、もの凄く惹き付けられながら食い入るように観ていました。
果たして何故そんなことを感じたのか。
そして本当に語っていたのは誰だったのか。
幕間の休憩時間や観劇後、色々考えました。そして思いました。やはり語っていたのはワーグナーなのだ、と。
舞台演出こそ別の人がやっていましたが、この作品の脚本・音楽の全てはワーグナーによる制作です。つまり「音」の全てはワーグナーによる、ということです。また劇中に音楽のない部分はほとんど無く、舞台の進行という「時間/間」、つまり役者の動作までもがワーグナーの支配下におかれることになります。
今回の状況では、私は「言葉」の言語的な「意味」を理解することが出来ませんでした。よって私が聴いた「心」は、すべて非言語情報つまり「音」としての言葉と音楽、役者の動きに拠っています。それらが全て一人の人間の意識に拠るものであるならば、ただ一人の魂を感じたのも納得がいきます。
しかし、それを成し得るのはとんでもない事だと思います。観る者に訴えかける程の強力な魂を封じ込め、5時間もの大作を作り上げるのは、尋常な作業ではないと思います。私も制作というものに関わっている身ですが、ここまで強力なものを仕上げるというのは尊敬に値します。いやー、まじで凄いです。
私は元来オペラというものが嫌いでした。「なんなんだその変な喋り方は!」という違和感を感じ、子供の頃から嫌いでした。今回の作品にも、納得いかないダメ出しをしたい所が沢山ありました。喋り方の違和感はやはり拭えないし、音楽があまりにも鳴り続けてるし、全体が一人の言葉であるということは、言ってみれば、役者がまるで生きていない/役者には心が無いということにもなるわけです。
けれど、やはり認めざるを得ない強力なものを感じたのも事実です。
舞台の幕が閉じたとき、悔しいけれど、私はかなり興奮させられていました。内容すらよく分からなかったのに、です。ナチス・ドイツはワーグナーがお気に入りだったようですが、納得できます。
今回のオペラ観劇は、自分の制作を見直し、また何より芸術と呼ばれる「作品」の持つ効能を考え直す良い機会になりました。