Neues Jahr

 あけましておめでとうございます。
 本年も、どうぞよろしくお願いします。

 みなさま、どんな気分で年末年始をお過ごしでしょうか。元日こそ雨・曇の天気ですが、大晦日はよく晴れていて花火も盛大にやっておりました。こちらエンゲン・Jugendseminarの年の暮れは、なんというか、唖然としてしまいました。新年早々の記事がこんななのもどうかと思うんですが、事実は事実として記そうと思います。

 昨日は私たち日本人3人(といかアジア人5人)は困惑する、あるいは憤りすら感じる時間を過ごしていました。もっともこの記事は太田一彦個人が書いているので、私の視点に基づく文章になり必ずしも中立なものではありません。

 そもそもの発端は、Weihnachten(クリスマス)の時の行事の数々でした。時期が時期だからクリスマス関連の話題が日々のあちらこちらで出てきます。それは構いません。クリスマス関連の講義もありました。それは全く構いません。でもそれらが、まったくと言っていいほど中身のない薄っぺらいものに見えて仕方なかったのです。
 敬虔な信仰心から来るものだと思えれば、もちろん私もそれを尊重できます。しかしクリスマスを紐解く講義ですら、結局何が言いたいのかもわからない薄っぺらいものに留まっていました。でも周りには、それを真剣に聞いている学生達がいる。

 「聖なる夜」だっていうのに、何だかよく分からない踊りをみんなで踊ったり、何かにつけて歌ったり。別にいいんですよね、それをやるのは。でも中身がないんです。それでもよっぽど美しい響きでもだせればいいですよ。でもそれも出来てません。はっきりいって私には屈辱的ですらありました。この中でそれをやるということが。でも周りには、わーきゃー言いながら楽しんでいる学生達がいる。

 この期間はストレスだらけの物だったわけですが、やっとそれも終わり休暇がありました。休み明けにまた集まって、学校の大掃除。やっと静かに時を過ごせると思っていました。30日はエンゲン在住の日本人のお宅にお邪魔して、美味しいおでんをご馳走になり、本当にゆったりした時間を過ごせました。

 ところが大晦日の夕食。食堂に入って体が凍りつきました。天井に電飾まで飾って、まるで安っちいディスコでした。お腹は空いてましたが、食欲はすっかり消えました。
 続いてSpielabend(遊びの夕べ)というものが企画されていました。私はもう見抜いていたので行きませんでしたが、友人が途中まで参加して抜けてきました。彼女曰く、ビー玉遊び、オークション遊び、カードゲームの類をやっていたそうです。そう、小学校の「お遊戯会」です。でも周りには本当に楽しそうにはしゃぐスタッフや学生達がいる。
 そしてまた、学校のホールでディスコ。さらに例のテントでも集まりました(例によって私はストライキ)。ちょっとはまじめな話もあったらしいですが、すぐにまた歌。選曲もめちゃくちゃ。しかもはしゃぎまくっていた様子。行っていた友人(日本人)2人が、心底疲れきった顔つきで抜け出てきました。

 クリスマス休暇中ずっとドイツ人家族のところにいた友の話によると、ドイツ人全部がこうというわけではないようです。やれやれという感じです。しかし少なくとも現在のここJugendseminarの人間達は、その傾向が強い。祭事といったら「パーティー!」しかないような、浅はかで薄っぺらい感じ。

 ただでさえ屈辱的でさえあるものなのに、自分が感じる印象と周りの人間達が感じる印象のギャップのせいで、ストレスが巨大化してました。「頼むから止めてくれ」と思ったことも実際あります。「お前ら歌なら何でもいいんだろ?」「お前ら遊びなら何でもいいんだろ?」と、珍しく暴言を吐きたくなったりもしました。

 元日の朝食に、ちょうど担当に入ってた日本人の女の子が雑煮を作ってくれました。大晦日の晩をストライキで静かに過ごし、そしてこの朝食のおかげで、今はだいぶ気分も晴れています。
 そうそう私たちの異様な様子に気付いて、あるスタッフが声をかけてくれました。こういう気遣いができる人も、ここでは珍しいです。ありがたいです。そして今晩、クリスマスと年末年始について、個人的に話をできることになりました。
 この一連のギャップの原因は何なのか、彼らにとっての(と同時に私達にとっての)クリスマス・年末年始とは何なのか、あるいは生活そのものの裏側にあるものは何なのか、すこしでも掘り下げられる事を願っています。

 ああ、かつてない感じの新年の幕開けです。
 あと2週間で日本調査です。
 久々の日本に、きっと驚くことも多いんでしょうね。