Deutschland → 日本

 ドイツ出発の前日夜、ゼミナールの日本人3人で食事に行きました。当初からずっと仲良かった3人であるし、様々な連係プレーをやってきた仲間であるし、この3人で集まれるのは数ヶ月おあずけになることもあり、最後の晩餐を共にしていたのでした。
 驚くことにエンゲンにも中華(タイ?)料理屋があって、この機会を使って初めて入りました。ちょっと値が張りましたが、結構おいしくてお腹もいっぱいになりました。でも何より、この3人で囲む食事ってのがありがたかったですね。

 さて出発当日の朝。”Wir sind für Sie da!(私たちは貴方のためにいます!)”とお客様を大事にするDB / Deutsche Bahn(ドイツのJR)ですが、この日もやってくれました。さすがです。
 気温0度以下の早朝、6時半の列車で出る予定だったのですが、待てども待てども来ない。たった一度「列車が遅れています」と言ったっきり、何の案内もない。20分経ち、40分経ち、本当に来ない。そしてこの凍えるような寒さ。
 やっと50分後、当初の予定の1時間10分後に列車が出るという案内放送が流れました。でもそもそも1時間後に列車がある事になっていて、要するに列車一本すっぽかしたわけです。「ごめんなさい」の一言もなしに。しかもその列車も遅れてる。なんかドイツってこんな事多いですよ、実際。主要幹線ならともかく、田舎の列車は時々ひっどいです。
 結局この列車も出発後に更に遅れて、結局Stuttgart空港に着いた時には1時間半の遅れ。国際線に乗るってのに、空港に着いたのが出発時刻の30分前で、さすがに私も緊張してピリピリしてました。さっきの友人2人が見送りに来てくれていて、「彦ちゃーん、だいじょーぶだよー。」となだめてくれたり。
 あかねさん、かおりさん、ありがとうね。おかげで少し落ち着きました。その後は無事に飛べました。

 さてStuttgart空港を離陸した飛行機は、乗り換え経由地のLondon Heathrowへ。飛行時間は2時間程度、距離1,100kmくらいだったでしょうか。 …あれ? 東京~福岡とあんまり変わりませんね。
 London Heathrowは、当たり前ですが全部English。英語で生活してる人達を見るのは久しぶりでした。そうそう空港の警備が厳しくなってて、手荷物検査は徹底してました。液体ものの持ち込みはかなり制限されているし、身体検査では靴も脱がされました。

 Heathrowを飛び立ち、いよいよ日本へ向かいます。日本行きの飛行機なので変ではないのですが、案内や客室乗務員が日本語を使ったりするのが物凄く奇妙でした。ここ1年以上は公共のものはすべてドイツ語か英語だったので、直接知らない人達が日本語を使っている様は本当に奇妙でした。
 この日の夕飯は機内食だったんですが、ちょっと不思議でした。鶏肉をソースで煮込んだ洋食なのですが、トレーの真ん中に何か見えませんか? 赤い大根の漬け物です。他ぜんぶ洋食なのに、なぜかこれだけ、ド真ん中に鎮座しておられました。

 飛行ルートは、ロンドンから北海へ抜けてデンマークを越え、ロシア北部を横断して日本海を渡り、新潟上空から成田へ。9,600kmの旅でした。メルカトル図法の平面の世界地図で見ると迂回しているように見えるのですが、地球儀上で考えると、実はほとんど最短ルートなのですね。
 16日の朝は東ロシア上空で迎えました。下を見下ろして、その地形に圧倒されました。凍り付いた巨大な河が幾つも伸び、山肌から流れるそれは巨大なフラクタル図形。まるで血管が張り巡らされてるようで、「地球は生命体である」という言葉を思い出します。
 さすがにあの辺りには人も住んでないと思うんですが、凄まじい印象を覚えました。
 そんな中に突如町が現れたりもします。ハバロフスク(Khavarovsk)という町はそれなりに大きく特定もできました。でもロシアって、まだ生活の様子がイメージできません。あの巨大な国土でみんなロシア語を話してるってのも驚きですよね。西ヨーロッパとはえらい違いです。とはいえロシア国内でも文化や方言は西部と東部でずいぶん違うんでしょう。人生のうちに一度は行ってみたいです。

 いよいよ成田上空にやってまいりました。あぁ日本ってこういう風景だったな、と思い出します。畑や田んぼ、家であったり。
 着陸後の入国審査なんかは、ほんとラクですね。日本人が日本に入るのは、そりゃラクですよね。空港内で銀行を探したり公衆電話を探したりウロウロする事もあったのですが、なんたって誰でも言葉が通じますから、楽勝です。ただ案内板にアルファベット以外の文字(日本語ですけど)が書いてあるのは、やっぱり違和感を覚えました。
 成田空港から東京へ出る列車も、それはもう違和感の連続でした。なんたって周りの乗客みんな「日本人」ですから。みんなアジア人の顔してますから。彫りの深い人いませんから。みんな日本語しゃべってますから。中吊り広告いっぱいありますから。それもぜんぶ日本語ですから。外を見ても、瓦屋根の家ばっかですから。鳥居とか立ってたりしますから。

 この感じを理解してもらうのは難しいと思うんですが、「初めて東南アジアに着いた時」を思い浮かべてみると近いと思います。もうほんとそんな感じです。私も日本人なのに、乗客みんな外国人の顔に見えましたから。その後は横浜の実家まで帰りましたが、一日中ずっと私はガイジン気分でした。
 親の車に乗る時も、「あれどっち側に乗るんだっけ? あ、ハンドルが右側に付いてる!」とか「左側通行だ!」とか、もうキョロキョロしっぱなし。「そっかー
自動販売機ってあったよね。」

 ドイツ生活1年3ヶ月は、やっぱり長かったんですね。というわけで、話題のガイジン彦氏が日本に到着しました。成田空港ではお姉様・おば様たちも集まって、警察が警備にあたる騒ぎでした。

 無論、私は関係ありません。


□現在の福岡での予定は

    (午前)    (午後)
1/30 (移動中)  福岡到着(おそらく夕方)
1/31 Free     おそらく一人、知人を訪ねる
2/01 Free     某教授と対談
2/02 Free     Free
2/03 Free     八女へ移動
2/04 市町村会館訪問?    某セミナーに参加予定
2/05 福岡へ移動  Free
2/06 Free     東京方面へ出発

…となっています。場合によって、福岡到着を31日へ、出発を2/07昼へと変更する可能性もあります。