イベントの表と裏

 近頃バイトしてます。アルバイトというと、どうしてもArbeitっていう文字が頭をよぎって、あれ何で俺いま日本語の中でドイツ語しゃべってんだ?という気持ちになります…

 それはさておき、そのバイトというのが、色々なイベント会場(時には建築現場もですが)の設営・撤去の類なんです。ちょうど昨日はパシフィコ横浜に行って、トラスやパネルも組んでました。これから色々なイベント事にも関わるだろうし、作曲屋になるにしたって、こういう現場の運営や施工も出来るくらいの能力の幅は欲しいと思っているので、お金を貯めるついでにこの仕事を始めました。

 さて、そうして本当(プロ)の現場にやってくると、随分今までとは勝手の違う場面が出てくるのです。今までというのは、自分達で企画して、材料・部材を調達して、設計・施工・運営まで全部を主体的にやる現場のこと。ところが、会場設営を仕事にしている人達というのは、ずいぶん立場の違う人間なのです。

 会場作りの流れをたどると、まず母体の運営団体が企画し、部材をレンタル業者に発注。レンタル業者は部材を運送業者に運んでもらい、現場へ届ける。現場ではレンタル業者が指揮をとりながら会場に部材を組み上げていき、運営団体からOKが出れば終了。

 これのどこが違うのかというと、発注元と施工する人間で共有する意識の違いである。

 自前で企画・施工・運営する場合、スタッフが長い時間を共にしながら企画の意義を共有し、少なくとも「やるぞー」という意識は共有し、みんなで力を合わせて会場を作っていく。だから会場作りをしている間も事務所にいる運営スタッフの顔が浮かんだり、仲間同士が共通の目標を持って仕事に臨んでいる。

 ところが業者の施工の場合、運送会社やレンタル会社(つまり会場を作る人間)にとって重要な情報は、部材の品目と数、配置図(設計図)、あとは料金である。そのイベントそれ自体が何のイベントかはほとんど重要ではなく、ましてや現場では当日はじめて来るバイト連中(つまり僕ら)が働いているわけで、バイト連中にとっては何のためのどんなイベントかも知らないまま会場だけ作っていく事になる。

 きっとこの世界では別に珍しくもない事なんだろうけれど、ちょっと驚いたことがありました。会場設営をしている現場の休憩時間、吸ったタバコ(時には空き缶)をその場に捨てたまま行ってしまう人が結構いるんですよね。今まさに会場を作ってる人間が、その会場をゴミで汚すことにためらいがない… これは私にとっては受け入れがたい感覚でした…
 想像に過ぎないんですが、「うちらの担当は○○の区画(さらにその中の部材設置のみ…とか)で、それ以外は関係ないよ。」 ということなのかな~なんて理解しています。

 たしかに現場の分業ワザたるや見事なもので、あれよあれよと色々なものが出来上がっていきます。パシフィコ横浜なんて、朝はだだっ広い巨大な空間しかなかったのに、中を大型トラックやらクレーン車やらが走り回り、気付いたらあちこちでトラスが立ち上がり、ベニヤやらパネルやらが次々張られ、夕方にはもう見慣れたメッセ(エキスポ?)の会場らしくなってました。
 けれど分業が過ぎている部分もあるんじゃないかな、なんて思います。イベントって意義や目的があって催されるものなのに、そこに何にも関心のない人間が作って良いものだろうか、と。料金さえ払ってくれれば、何のイベントでも会場作りますよってなるとしたら、それはイベントに関わるプロとしては、どうなんだろう、と。

 このバイトも色々な場所に行けて楽しい部分もあるし、お金も入るんですが、自分に返ってくる満足感を考えた場合、たとえ賃金なしでも、みんなで一生懸命手作りでやってる現場に関わってる方が幸せを感じます。ただお金のために何かを作っているのって、何だか虚構のような気がしてしまいます。それこそ、リアリティが無いというか。

 けれどお金がないと社会的な生活を送るのは今の日本社会では厳しいわけで、だからこうして「仕事」というものが成立しているんだろうとも思うのです。しかしそこは妥協する点なのか、あるいは生きるための新しい方法を模索していくべき点なのか…

 ダメですねー。こんな事ばっか言ってるから、いつまでも悩み迷いがあるんでしょうね。でも嘘をついて生きていくと死ぬ時に不愉快な気持ちになりそうなので、私の場合は仕方ないんでしょうか。