自分の立ち位置を改めて考えてみる

 きのう仙台で、ブライダル関係の写真業者を対象にしたセミナーが開かれていました。仕事してる事務所にも案内が来てて、会場が家から徒歩でも行ける場所だったこともあり、せっかくの機会なので参加していました。

 午前の部は聞いてないのですが、午後の部ではとある茨城県のブライダル業者の人がプレゼンテーションを行っていました。写真業界の強みって何なの?とか、中小企業がとるべき戦略は?のような経営的な話も興味深かったのですが、そこの会社の理念というか姿勢というか雰囲気というか、そういうものにとても共感を覚えました。
 変な話、自分が撮ってもらうならここに頼みたい、なんて思ってしまうくらい。

 そこのカメラマンさんが撮影デモも行っていて、会場にいた一般に人を被写体に簡易スタジオ撮影→アルバム編集までの簡単な説明がありました。
 被写体の女性は、当然セミナー参加者なので特別な服を着ているわけでもなく、飛び抜けて美人というわけでもなかったのですが、撮った写真を見て、不覚にも「かわえぇ…」と思ってしまった…
 撮り方についての解説は、一般のカメラマンには常識的なことだったのかもしれませんけど、私の知らない内容もあり、気になって今日は手っ取り早く事務所のゼクシィの写真を見返したりしてました。
 どちらかというと「しっとり」と撮ることが(事務所の方向としても)多いのですが、自分の中で「女性のかわいらしさを引き出す」がしばらくの間のテーマになりそうです。(それくらい「かわえぇ…」と思ったし、そう撮りうることが(そしてそれを目の前でやってくれちゃったことが)衝撃的だったのです。)

 昨日のセミナーを聴いて、今まで以上に考えるようになったことがひとつ。コンセプトは重要だ、ということ。世界観、と代表者の人は言ってました。

 事務所のウェブサイトを作っていて常々思ったことは、「一体これで何を伝えようとしてるのか」が分からない、ということ。商品説明とかそんなのはまぁいい。しかしこれを見た人に、どんな気持ちになって欲しいのか、どういう人に見て欲しいのか、そしてその人達とどういう関係を作っていきたいのか、あるいは、一体何が自分たちが本当に売りとしたいことなのか。そういう部分のコンセプトというか核となる理念が、今は見えていないな、ということでした。

 懺悔に近いですけど、自分が写真を撮っている時にも、一体何を撮っているのか(自分がどう写真を扱っているのか)ということについて、明確な意識を持てていません。
 私は割と事務所にも入り浸ってる方ですけど、スタッフの間でそういう意識が共有できているともなかなか感じられません。

 私はブライダル写真を一生の仕事とはまだ思えていない(一生続けてもいいけどそれだけに専念はできないと思っている)のですが、今これをやる価値は十分にあるし学ぶことは多いと思っているし、それにやっぱりここのスタッフが好きなので、フリーのままか専属になるか分かりませんけど、今の事務所にもまだしばらく居続けようと考えています。

 ではその時に、一体自分の役回りって何なんだろうって考えます。自分がそこで出来ることは何なのか、すべきことは何なのか、そして何より、どうしていこうと思うのか。

 写真の技術を磨くことはできる。写真じゃなくてコンピュータ周りなら、むしろ自分がサポートできる場面は多々ある。(実際だんだんカスタマーサポートセンター化しつつある(笑))

 でも本当に重要なのは、目指す未来を思い描くこと。夢というとキザっぽいのかもしれないけれど、意思を持つことなのだと思うのです。

 言われた仕事をする、頼まれた写真を撮る、だけではなく、逆に提案していくことが、小さな職場ですし、重要なんじゃないかと最近思うのです。そして提案するに値する夢を描ける能力が、いま自分には欠けているのかな、なんて思います。

 いま何が欠けているのか。そしてその先にある目指すべき夢はなんなのか…

 その夢を明らかにしていくことが、そしてそこへ近付くための方法を考えることが、今ここでの自分の役回りになるのかな、なんて思います。もちろん自分勝手な「夢」の話ではなくて、スタッフがそういう夢を見られて、そして共有していける風潮を作っていく、という話です。
 事務所に加わって一年足らずの輩があーだこーだ言うのは考えものなのかもしれないけれど、幸いそういうこと言いやすい環境だから、気付いちゃった人間としてそういう責任があるのかな、なんて思います。
 
 ほらだって、もっとこうしよう・ああしようとスタッフ間で言い合えるような、そういう雰囲気を築いていくことが、結果的に写真技術の向上にもなるし、そうやって和気あいあいとやってる雰囲気の人に撮られる方が、被写体となる新郎新婦だって嬉しい気分になれるだろうし。

 「あの時写真撮ってもらってて良かったね」と言ってもらえることが、いや、数十年後に写真を見返していい気分になってくれることが、それが今思いつく一番嬉しい事であり目標かもしれません。

 今日は長くなりました。