「アートマネジメント」というものについて

 先日、大学時代の知人(現ある大学の先生)が文化経済学会のために仙台に来ていて、仙台に来たよーと声をかけてくれたので、夕食をご一緒していました。お互い芸工大関係者ゆえ、デザインだったりアートマネジメントの話題で盛り上がれたのが、ちょっとした潤いでした(笑)。他の教授たちへの愚痴なんかも飛び出してましたが、私は結構共感する内容だったので、「えーそんなことも通じないの?!」と素直に驚いてました。

 アートマネジメント。近頃はいろんな方面で使われるようになった言葉らしいのですが、誤解も多い。というか、きちんと定義が特定されてない気もします。私自身、色々誤解している点も多いかもしれません。

 アートマネジメントという言葉は、とくに文化施設運営や芸術文化イベントと絡んで使われる事の多い言葉です。やれ指定管理者制度だ、やれ市民参加のイベントだ、などなど。
 大きな誤解を招きかねないのは、本来アートマネジメントは、どこかの施設の運営を良くするだとか、あるイベントを成功させるだとか、そういう目的のものでは無い、ということ。アート/芸術文化を活かすことで、より良い生活/社会を作っていく事が、そもそもの趣旨のはず。だから方法論的なことだけを学んだり研究したりしていても、本来その中心となるべき所が欠けてしまう、という事態になるのです。
 へんな話、どこかの施設ひとつ、イベントのひとつ、失敗したっていい。むしろ「失敗する事がどうしても必要」なんて場面すらあるかもしれない。重要なのは、目指す方向を間違わない事。

 …こんな話をしていて、私は久し振りに大学を辞めた理由を思い出してました。(忘れかけていた事を深く反省…)

 そう、アートマネジメントやデザインには、目的がある。目指すべき方向がある。芸工大のパンフレットにも、芸術工学は真に人間にとってより良い世界を目指す学問であると書いてました。(正確な文章は忘れましたが)

 でも、じゃぁ、その「真に良い世界/生活」って何なの?

 この疑問への答えがどうしても分からず、授業受けてても分かるようになるとは到底思えず、でもそれが分かんなきゃ、いつまでたっても目標が見えない気がして、突破口も見えず、かなり深く悩んで、せめて大学から出て自分で探すしかない、なんて思ったんですよね。

 なつかしい。

 ドイツにいた期間は、そういう意味で本当に重要な期間になりました。心の底から感動するような場面にも何度も出会ったし、日本とは違う生活の中で、「生活」そのものを見直す機会にもなった。
 その後、日本に戻って来て、仙台に来て、駒は先に進んでいるのだろうか。まだまだ答えは見つからないし、見えたかと思ったものも、また闇の中に消えてしまった。まだまだ道半ばです。でも、数年後か、数十年後にでも、もうちょっと分かるようになればいいなと、願うしかないのですよね。

 ちょっと話がズレましたけど、アートマネジメントに関わる人や、それを学ぶ学生は増えつつあるようですが、その本質を追い求め続けることを、忘れないようにして欲しいと、切に願っています。
 見た目の良さや成功ではない、本当の意味での価値って何なのか、世界中のどこの学者だって答えきれないような世界へ進んでるんだと、自覚を持ち続けて欲しいです。(えぇ、ものすごく自戒の意味も込めて。)

 目先の仕事をこなすのも重要だけど、それに目がくらんでしまったら元も子も無いんだなと、改めて焦りを覚えます。今の仕事をあと何年続けるのか分からないけれど、その間にも、せめて一歩でも先へ進まないと。