ドクガク

 独学って、意外と捨てたもんじゃないと思います。何処にも属さず学校にも行ってない人ってのは、世間的に(特に日本では)マイナスに見られがちですが、熱意をもって望むならば、その効果は学校での勉学を凌ぐことも十分にありえます。実際、各方面の著名人の中には、独学で名乗り出た方々も少なくないようですし。

 私の写真は全て独学で、写真雑誌すらろくに読んだこともありません。最初にカメラを買うときにマニュアル制御できるのを選んで、実験しながら仕組みを学んだだけです。とはいっても、普段は自動制御でやってもらってますが。構図の取り方も、自分で何度も実験しながら身に付けていっただけの話です。(そのかわり、自前のカメラを手にしてからの4年間で撮影枚数は累計2万枚くらいだと思いますが。フィルムだったら金かかりすぎてたでしょうね…) まぁとにかく、自分の勘でやってきたわけです。
 それでも、そこそこ人に気に入ってもらえる写真は撮ってきました。

 私の音楽関係の技術は、高校時代に2年間ピアノ演奏&作曲理論を学んだ以外は独学です。(正確には大学でも1年間その授業がありましたが、特に意味はありませんでした。) そういうわけで最初に深入りしてから累計8年間、現場経験も併せながら学んできましたが、上記の2年以外で専門教育を受けてはいません。まぁとにかく、自分の勘でやってきたわけです。
 それでも、そこそこ人に気に入ってもらえる音楽は制作してきました。

 以上2点について、私は自信を持っています。

 ここで書き終えたら、ただの自慢話ですが、続きがあります。先日、仲のいい友人が私の音楽制作について非常に重要な指摘をしてくれました。とても身に染みたので、ここにも書き記しておこうと思います。

 「センスはいい。だが幅がない。悪い言い方だが○○(ある音楽人)より狭い。」

 反論の余地がないです。ごもっとも。自分の最大の欠点はここにあるんだと思います。独りよがりでやって来たツケです。作ってきたものは、それなりのレベル以上に達している。けれど、作れる範囲はたしかに狭い。
 あと自分でも把握しているけれど、演奏技術はど素人並です。大抵のピアノ曲(や練習曲)は指がからまって弾けません。ど素人でも感動する演奏ができる曲はありうる!を原点にやってきてたら、いつまでも自分の演奏力が伸びてなかったって話です。

 音楽の話だけをするわけではないですが、これが独学の負の部分なのかなぁと思いました。熱意があれば先へは進めるが、自分への客観的な姿勢を失いやすい、ということが。自分の世界を築いていける半面、そこから逃れられなくなる危険をはらんでいる、ということが。
(もちろん、それを知ってて独学でも広範囲まで勉強する「本当に」才能ある人も、いると思います。私はそれ程の人物にはなれそうにないです。)

 だから学校であったり、関わったことのない人物であったり、自分にはなかった価値観や考え方の中に自分自身を投げ込んで、凝り固まった自分の価値観・考え方を一度は解体してしまう必要があるんだと思います。「必要」は言いすぎだとしても、その意味はきっと深い。
 そしてもう一度自分なりの体系を築き上げるとき、それまでより一層深まった態度や方法論で、制作や思索(あるいは生活そのもの)に臨めるんだと思います。

 早く気付いて、早めに処理しないと、
 後で大崩壊を起こしたときにはもう、立ち上がれなくなってしまうんでしょう。

 自分の理論に自信を持ち始めた頃が攻め時でしょうか(笑)。

 こういう心境の変化があったからなのか、8月から1年間、学校に通うことにしました。「え?なんの学校?」という疑問には、近々お答えします。簡単に言うと、ドイツへ渡ることを考えた頃の、その最初の目的へと足を戻します。

P.S.
独学って、独逸(ドイツ)で学ぶって意味は、

ないですよね。