ガン細胞

 いつの事だか忘れてしまったが、初めて「癌」という病気について少し突っ込んだ知識を聞いたときの事。小学生の頃だっただろうか、何か不思議な、少し悲しい気持ちになったのを思い出した。

 人間の細胞は、そもそも分裂して増殖していくように定められている。分裂して新しい細胞を生み出し、古くなった細胞は役目を終えて消えてゆく。一人の人間としては生きているのに、その中ではたくさんの「死」が日常として怒っている。彼らは自分のコピーを増やして行き、自分自身が死んでも「人間」そのものが死なないよう、その役目を果たしている。

 ガン細胞。彼らはごく普通の細胞が突然変異してしまったものだ。もともとは同じ体の一部なのに、悪性に変異して強力な増殖力を持ってしまった細胞だという。

 とても可哀想だ、と私は思った。
 必死に増殖しようとしているだけのに、たまたま悪性になってしまったがために、その「身体」に害を及ぼす存在になってしまったガン細胞。自分の使命を果たすべく分裂しようと必死になるあまり、あるとき度を越えて、止まらなくなってしまったガン細胞。
 とても可哀想だ、と私は思った。

 自分の身体の大切な一部なのに、治療のためだから切り取ってしまえば良い、ということが、とても悲しかった。もちろん、それが今あるベストな治療法なのだろうとは、当然思っている。ただ、悲しかった。ひたむきに役目を果たそうとしている仲間を、ただ切り捨ててしまうというのは、何か心が痛む気がした。ちゃんと彼らと最後まで付き合って、その上で死ぬしかないのなら、それもいいのではないか、と思っていた。

 いざ自分の中にガン細胞が生まれたとき、私はこう思い続けられるだろうか…

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 テロリスト達は地球のガン細胞なのだろうか。

 全てのテロリストの事を知っているわけではもちろんない。ただ言えるのは、真に宗教戦争に臨む彼らは、自分の命をもかけてでも使命を果たそうとする、計り知れない情熱をもった者たちだ。彼らは自分自身のためではなく、自分達の社会のために自分の死をもいとわない、とても純粋な心を持った者たちだと思う。そういう意味で、私は彼らにとても共感を覚える。

 だから、果てしない情熱を、その純粋な気持ちを、もっと正しいやり方でなんとか実現させてやりたいと思うのだ。彼らだって、本当に臨んでいる事は悲しみを与える事ではないはず。今は情熱にかられて激しい行動しかとれないのかもしれない。だからこそ、本当の方法を見つけて、与えてやりたい。

 激情に、激しい思いに「力」で対抗するだけでは、ほとんど無意味だ。もちろん一時的にはその動きを封じる事はできるだろう。そういう意味では、確かに有効な手段だ。しかし、何年かの後に、再び新たな怒りを生むだけだ。

 激情に必要なのは、それをしっかりと受け止めてくれる存在。
 優しく包んでくれる存在。
 いま彼らの激情を受け止めるとは、どういうことなのだろうか。

 彼らが地球のガン細胞であるのなら、ただ切り捨ててしまえば良いとはどうしても思えないのだ。