自由な生活。

 いっぺん言葉にしてみたかったので、書いてみます。

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 「自由」ってなんでしょうか。辞書曰く、「心のままであること。思う通り。自在。」 ・・・まぁ、好き放題やれる、ということですね。

 思うに、私の今の生活は、まさに「自由な生活」なわけです。「○○をしなければいけない」ということが、何ひとつないのだから。

 朝起きなくたっていい。課題しなくたっていい。学校行かなくたっていい。仕事しなくたっていい。何も考えなくたっていい。

 面倒なことは何もしなくたっていいわけです。「自由な生活」では、嫌な事はすべて、しなくてもいいんです。それゆえ、「もっと自由になりたいー!」という人が時々出てくるわけなんですが、そんな人には本当の「自由な生活」は絶対におすすめできません。

 ここでもう一度、「自由」の意味を考えてみましょう。

 「心のままであること。思う通り。自在。」

 気付いてもらえるでしょうか。本当に「自由」であるためには、自分自身の「心」なり「思い」があることが前提条件なのです。しっかりとした「自我」があって初めて、「自由」になれる、ということです。ただ用意された娯楽を受け取るわけではありません。

 いつ起きるか。いつ寝るか。何を食べるか。何を着るか。何を考えるか。何をするか。どこで暮らすか。どう生きるか。あるいは、どう死ぬか。

 そのすべてを自分の意思で決めるということは、決してラクなものではありません。人間、どこにいたらいいのか、何をしたらいいのか分からないのは、不安なものです。しかしどんな条件も、勝手に決まったりはしない。どんな喜びも、勝手にやって来たりはしない。すべて自分の意志で決め、自分の手で見つけ出さなければいけない。

 一緒に遊ぶ友人を連れてきてくれる「学校」という場所もないから、自分で見つけない限りは「孤独」。

 自分を家の外に導いてくれる「予定」というものもないから、自分で動き出さない限りは「引きこもり」。

 何かを探すにも、自分の足で探さなければならない。

 何かを知りたいと思ったときも、どうやったらそれがわかるかを判断し、そのためのプロセスを実行しなければならない。

 要するに、自分で自分用の教育プログラムをゼロから作らなければならないということなのです。どうやったら自分を成長させられるのかという、本当の意味でのセルフ・プロデュース。そう、「自律」です。

 だから、「もっとラクに、自由にして!」という人には、絶対におすすめできません。それは「ダメ人間になっていくから」というちゃちな意味ではなく、「もっと苦しい思いをする」ということです。結構しんどいぜ、まじで。

 しかし、その中で見つけた、本当に自分の手で、そして足で探し出したものには、計り知れぬ素晴らしさと喜びがある。そしてその経験は、自分自身の体の中に「生きた知恵」として刻み込まれていく。その意味において、「自由」である事は非常に価値のある事だと考えています。

 この本当の「自由な生活」にいる今こそ、自分の本当の能力が試されている、と思っています。と同時に、その能力が育まれている、とも思っています。

 いろんな意味で、この時間はとても貴重。

 そして、今が勝負なのだ。

これを実感できたことは、ここへ来た意味として十分すぎるほどのものだ。

さぁ、次の次元へと進まねば。


P.S.

 こんな「自由な生活」を「してもいいよ」、とOKした私の親は、さすがだなぁと思うわけです。さすが教育者。感謝してます。