>> 専門教育って?

 なんともありがたい話で、前回の記事にずいぶん反響があって、喜び勇んで返事を書いていたら、コメントの文字数オーバーしてしまったので記事として投稿します。



>玉
>学生がそのまま先生になっちゃいかんって。
これは重要なことだよね。とくに初等教育では何より重要かもしれない。

大学の場合、だいぶ専門的になってくるのでダメではないのかもしれない。けれど大学にやってくる大半の学生は「専門しか知らない」のがどういうことか理解していない。少なくとも今の学生はそうだと思う。間違いなく自分もそうだった。
だから、専門を教える人が今の教授陣であるなら、大学組織そのものを正しく導ける人が運営側に必要だとも思うんだ。

>えぐ
トラックバックありがとう。
「この方」って書いてあって、うへぇーっとびびってしまいました(笑)。

そちらの文章からの引用ですが、
『「人が人に」何かしらの意図や感情を伝えたいと考えたときにそれを実現するためのモノ(技術)である。』
これはまさに「言葉」と同じものだよね。良く言い当てていると思う。表現(実現)の手法として、「もの作り」を使うか、「もの書き」を使うか、あるいは「演奏」や「絵描き」みたいな方法を取るか、という違いはあるにせよ、「人が人に」が表現の原動力となることで、技術を「人間のための技術」として導いていくんだと思う。

>dyusuke
先日やっと君のブログを発見しました(笑)。

>「自分の立ち位置だとか・・・personalityの領域だと思う」
その通りだね。僕の意見は、ある意味で人権侵害になりかねない危険域に踏み込んでいるとも思う。でも、「レールに乗っかってりゃ何とかなる」と思わせておいて、「実はそのレールはダメな方向へ進んでました」という結果を招く嘘は、よくない事だと思ってしまうんだ。嘘に気付いてしまった人間として、黙っていられない。

変な話、レールに乗って人生を生きる人もたくさん必要なのかもしれない、と思うんだ。僕みたいに無茶苦茶やる人間ばかりでは、社会が成り立たないから。でもだからこそ、レールを引くなら正しく引きたいんだよ。