田舎暮らしについて

– Sorry. Only in Japanese. –

 先日オプフィンゲンという田舎に引っ越してきたわけですが、なぜ田舎が良かったのかということを、ここに説明しておこうと思います。
 何?そんなの聞きたくもねーよって? まぁそう言わんとお読みなされ。きっと何かのためになるからさぁ。

 そもそも私が大学を辞めて学ぼうとしているものは何なのか、という所から説明すると、話がわかりやすいかと思います。

 私は「音響設計学科」という所に属していました。従って授業では、音響に関する理論を学ぶことができました。それはそれで大変興味深かったのですが、ある疑問をどうしても拭い去れませんでした。簡単に言えば、「で、それをどうする気?」ということ。私は、「本当に良い生活」を生み出すために、何か音の視点から発想したかったのですが、どうも「何が本当に良いものなのか」は大学の中では学べそうになかったのです。

 音響技術は身に付いていく。しかしそれが一体誰のために何のためになるのか、いまいちピンと来ない。これはもう、自分自身で「本当に良い生活/社会」をイメージできるようになって初めて、それらは役に立っていくのだろうな、と考えていました。つまり、音にせよ何にせよ、研究を進めていく大前提として、もっと「社会」や「人の暮らし」そのものの事を知る必要がある、と考えたのでした。
 「本当に良い生活/社会」をしっかりイメージできた上で、そのために本当に必要な技術(もの/わざ)を選んで注ぎ込んでいくのが、世界を創造していくための正しいやり方だと考えていました。

 あと、なんというんでしょうかね・・・ 音響なり何なり、技術は他の人に任せることも出来る。友人達の中にも、自分より優れた技術を持った仲間がいる。音、光、物、情報などを、様々に作り出せる「技術を持った人」が、世の中にはいる。ならばそれを自分がやる必要はない。自分がやるより、才能を持った彼ら/彼女らに任せた方が、きっと良いものが生まれるはず。せいぜい自分でやった方がいい時にやれるように、しっかり能力を磨いておけばそれでいい。

 しかし世の中に欠けているのは、様々な知恵や技を有機的に組み上げていける人。世界をどうしていったら良いのかをイメージし、そのために必要なものを考え、実現のための手順を組み立てて、その「技術を持った人」をまとめあげていける人。
 ならば自分がやるべき事は、そこにある。そんな事に気付く/そんな事をやろうと考えるバカな人間はどうやら少ないようなので、せめて自分くらいやろうと思ったのでした。

 さて、社会を構成するのは、人のつながり。コミュニティーです。社会を知るために、コミュニティーの仕組みを知る必要がある。将来、より良く社会を設計するために、コミュニティーを生み出す力が必ず要る。
 ならば、ゼロの状態から人脈を築いていく中で、コミュニティーの仕組みを学び、それを生み出す力を身に付けていけるのではないか、と私は考えました。

 人脈をゼロに近づけるため、知り合いもいない言葉も良くわからない「外国」へ飛び込みました。そこでは何をするにも一手間かかるので、「生活/暮らし」というものを見直すことも出来る。しかしフライブルクも、なんだかんだで大きな町なのですね。今の自分には、どうその社会に関わっていけばいいものか分からなかったのです。

 しかし田舎ならばコミュニティーの規模は小さい。従ってそれは濃く、また把握しやすいはず。ならば本当に現地の人たちに関わっていくキッカケを掴みやすいのではないか、と考えたのでした。

 さぁ本当にこんな所までやって来てしまった今、この先の展開が楽しみです。