たいいくのじかん

 今週一週間は、Eudynamik-Gymnastikの集中講座でした。早い話が体操です体操。大学以来、体操なんてロクにしてない上に集中講座なもんだから、足なんかもう筋肉痛バリバリです(笑)。
 さてこの体操の授業なんですが、非常に興味深いものになりました。

 初日の授業に参加して、私をはじめ日本人の3人は唖然としてました。というのは、小学校でやるような、まさに「体育」の授業でやるような事を、大真面目にやってるのです。ボールを使った遊びとか、2グループに分かれての競争(ムカデ競争みたいな趣旨のやつと思ってください)とか、長縄跳びとか、う~む言葉で説明するのは難しいけれど、片足で立って前傾姿勢をとってバランス取りましょーとか、とにかく小学校でやるような内容が盛りだくさんだったのです。仕舞いにゃ「達磨さんが転んだ(ドイツ語版!)」まで出てくるし。

 最初は、あーなんか懐かしいなーと思っていたんですが、あんまりいつまでも続くもんだから心配になってきて、それが二日目も三日目も続いてもう愕然としたわけです。

 更に驚いたのが、「今日の授業どうだったー?」って聞いたら、やたら満足してる人がいたり(逆に「あんなのクソだ」って言ってる人もいたけれど)、あの授業は真新しいの?って聞いたら「そうだよ」って言われ、僕らはだいたい全部小学校でやったよと言うと「!!!」と驚かれたり。

 あーこれは何かあるなと思い、授業の先生に直接かけあって、私達3人と特別対談の時間を作り、色々聞いてみることにしました。

 そしてそこには驚くべき真実が!
 次回ギムナスティック最終話、お楽しみに!

 えー、最終話です(笑)。まず、この授業は何のためのものなのかを聞きました。今回の授業の趣旨は、
①お腹のあたりの重心(体の中心)を感じながら動けるようになること。
②前後左右上下の空間を感じられるようになること。
③他人との関係性を感じ、間合いをとりながら動けるようになること。
④同時に、自分自身の体のバランスをとれるようになること。
だということです。はっきりいって「何を今更…」って思いました。でも重要なのはここからなのです。

 「今回の授業はどうして必要なのか?」と聞いてみました。「そんなにここの若者はこの手のことが出来ないのか?」と。


 ヨーロッパはやはり個人主義が定着した文化。よって「Ich!/私がやる!」と言うことはできるけれど、代わりに人の意見を聞くことを忘れがちになる。共同生活という場で周りとの関係の中に自分を見出すことが苦手になるということである。
 またヨーロッパでは「頭」に偏りすぎる傾向がある。「考えられる」けど「体で実行する」ことができにくい。さらに追い討ちをかけるように、(日本でも言われているけれど、)テレビやコンピュータ、ゲームばかりの子供は体を使う機会を奪われ、ますます「頭」に偏った人間になっていく。そして自分自身(心も体も)のコントロールを失い神経質になり、突発的に感情的になってしまう傾向がある。
 だから体を使い、空間を感じ、他人との関係を感じる中で、自分の中心を再確認し、頭と行動の中心でバランスを取れるようにする必要があるのだ。また他の人と関わることを、体を通して実感として知る必要がある。そしてその中で、自分自身のコントロールを回復し、しっかりの落ち着いた(地に足の付いた)人間性を築いていく必要がある。

 更に聞いてみました。「じゃぁ日本でやってるような(今回のような)授業は、学校ではやらないのか?じゃぁ何をしているのか?」


 フットボールやサッカーなど、スポーツはやっている。けれど(俺がボールを取るんだ!というような)力で押し切る方向に偏っている感がある。それから、体の中心や空間、他人との協調性を含んだ内容もあるにはあるが、そこを自覚しながらやってはいないし、教師もそこに注目はしていない。(どちらかと言えば「筋力を上げる」ことを中心にしている感もある。)
 このような状況で、更に家庭環境の問題などで自分の見本となる人物を見出せなかった子供は、さらに自分の中心を失ってしまう。

 こういう事が起こっているらしいのです。

 ここJugendseminarには、やはり何らかの理由で社会に馴染めなかった人間が集まっている気配がある。ということは、これらの傾向が際立っている、ということであり、特にドイツ国内から来ている人の場合は、その中でもネガティヴ面の傾向が強く出ている傾向がある。(そして興味深いのは、Waldorfschuleを出て、更にここJugendseminarに来ている人には、より強くその傾向が出ているようにも見える。あくまで傾向ですけど。) だからこそ、こういう授業を通して自覚を取り戻し、人間として成長していく必要がある、ということなのだ。

 話し合いを終えて、おもしろいと思ったことがあります。日本の場合、集団優先で周りに合わせているうちに自分自身を失っていくことが問題になっているけれど、反対に自分が主張することを続けていても、やはり自分自身を失っていく、ということが起きています。
 本当におもしろいと思うんですけど、何事もやはりバランスなのですね。よく言いますけど、本当にそうなのだと。

 過度な装飾のものよりも、プラス因子でさえ、極端なものよりも、質素な、バランスが取れていることを「美しい」とする日本的(東洋的?)な発想ってのは、こういう部分では本当に重要なものなんだなぁと思うのです。