震災遺構の展示制作:山元町・中浜小学校

展示制作チームの一員として関わった宮城県山元町の震災遺構「中浜小学校」が、9/26に開館となりました。

2011年に発生した東日本大震災の震災遺構、中浜小学校。宮城県最南端の震災遺構であり、地域全体が津波に流される中、当時屋上に避難した児童・教職員・地域の人を守り抜いた校舎でもあります。

>> 震災遺構中浜小学校(山元町ウェブサイト)

中浜小学校はグッドデザイン賞2020の「ベスト100」、そして特別賞である「グッドフォーカス賞[防災・復興デザイン]」に選定されました。完成した施設としての震災遺構のみならず、保存の手法も含め「この種の施設を整備する際の、ひとつのモデルを提示したプロジェクトである。」と評していただきました。

>> 震災遺構 [山元町震災遺構中浜小学校] GOODDESIGN AWARD 2020

ここでは私が主に担当していた映像展示(かつそれを作る視点)を一部ピックアップしながら、簡単にですが「どんなことを考えて作ったのか」をご紹介します。公式見解というわけではないのですが、開館から3ヶ月経ったところで私個人として書き残しておきます。

展示のコンセプトについて

震災遺構として大切なのは、何よりも震災という出来事を将来にわたって伝えること、そして未来に起こる災害時に被害を減らすための教訓・知恵となること。ここは小学校という学びの場所だったわけですが、その校舎自身が新たな教材となり再出発する、ということです。

また災害への対策に「こうしておけばいい」というような唯一の正解はないので、その意味でも「答えではなく問いを立てること」「考えることを促すこと」をコンセプトの根幹に据えていました。

サブコンセプト

上記のコンセプトは「震災遺構として」重要なものですが、さらに付加的に考えていたのは、「ここは震災の遺構だが、卒業生にとっては母校であり、地域の人にとっては自慢の学校だ」ということ。学校当時の様々なエピソードからも学校が地域とともにあったことがよく伝わってきました。廃墟のようにも見えるけれど、立派な場所。中浜地区は校舎以外全てが津波によって無くなってしまった地域でもあり、その意味でも「地域があった証」「訪ねて行ける場所」であることが大切になると考えていました。

ガイダンス映像

かつて音楽室だった部屋で上映される映像です。震災時の出来事や災害への備えについて概要を押さえ、より詳しい話を理解できるようにするための前提知識をまとめています。発災当日の映像については、役場の方が奔走され、また各所からのご協力によって集まりました。ちなみにナレーターは、震災後に山元町で活躍した臨時災害FMラジオ「りんごラジオ」でも活動していらっしゃった方が担当しています。

制作者としては、悲惨さを強調するよりも事実としてそれ受け取ること、そして上記コンセプトを踏まえ「これからどのように遺構・展示を見ていくのか」の意識づけの意味を込めています。

構成・ナレーション原稿も基本的には私が考えたんですが、何をどのように伝えるか、最後の「あなたの目で見て、考え、読み取って(後略)」のテキストなど、長く関わったからこそまとめられたと感じています。詳しい内容、ぜひ現地でご覧ください。

そしておまけ。現地ではあまり語られない情報ですが、せっかくなのでこの場で付け加えたいことがひとつ。このガイダンス映像のBGMは全てこの映像用に制作したものなんですが、実は冒頭・末尾のピアノ曲は中浜小学校の校歌をアレンジしたものです。

元々の校歌は勇ましい感じの曲でしたが、「震災を経て、厳しい、苦しいことも受け止め、時々挫けそうになったかもしれない、それでもそこに立ち続け、新たな使命を帯びた学校・校舎である」という私なりの解釈を加え、心を込めてアレンジ・演奏しました。災害が主題の映像ではあるけれど、そこに校歌の響きがあることで、「地域の人の思い出に寄り添えたらいいな」という願いもあります。外から来た一般の人と、中浜に関わりの深い人とで、きっと見た後の印象も異なっているでしょう。

映像で見る地図(展示室)

以前は図書館だった展示室に水平に置かれた、2面のディスプレイ。災害を地理的・理科的に読み解くためのツールとして作っています。

空撮写真で町内の震災前後を比較したり、地図上に津波到達のシミュレーションをオーバーレイしたり、日本全土の範囲まで含めて地震や津波の情報を見ながら、それを囲んで話し合いつつ考えられるようにしています。また地理的な意味を強めるために、映像内と現実の方角もおおよそ合わせています。

「大変な出来事だった」「被害が凄かった」だけではなく、サイエンスとして興味を持つ人が出てくることも、おもしろいし嬉しいことだと考えています。実際、震災当時の校長先生も元々プレートテクトニクスに興味があったことから、2日前の地震の際に危機感を改められたそうですし。

制作にあたっては、オープンデータの標高データをもとに地図の画像を作ったり、気象庁の地震データベースを利用して地震・余震の膨大な点群を時系列に打つ映像を作ったりと、私としてはかなり実験的に「技術開発しながら」完成させた展示です。

余談ですが、上記の時系列点群など当初の予定(仕様)にはなかったものも「私が作れるようになっちゃったから」とふんだんに展示制作に盛り込んでいるので、制作予算に対しては数倍以上のものを作ってしまいました。いけないいけない。笑

資料室・階段脇の星空の写真

最後にもうひとつ、思い入れのある展示物を。

屋上に上がる階段の脇に、星空の下に校舎がそびえている写真があります。事前に関係者にヒアリングをしていく中で、「震災当日の夜はすごい星空だった」という話をよく聞きました。

私も2011年3月に仙台にはいましたが、中浜小で過ごした一夜はどんなものだったのだろうかと想像しようと、実際に3月11日の夜に中浜小校舎の脇で夜を明かしてみました。(しかも2年連続。笑)

展示されている写真はその時のもの。2019年3月12日未明。寒かった。天の川が東の空に上がる午前3時頃、写真を撮っていると車が通りかかり、そのヘッドライトで校舎が照らされた、偶然の一枚です。


中浜小の展示設計・制作は(一社)SSDが中心となり、私は2018年度の基本設計段階から制作に参加。震災遺構としてのコンセプト、展示のあるべき姿などを探りながら、映像制作、映像用音楽制作、事前のワークショップ等の記録、竣工写真撮影などを担当してきました。

2017年に同じ山元町の防災交流センターの震災・防災展示を担当し、その時から中浜小と向き合ったことから考えると、関わったのは3年間。その時間をかけたからこそ作れた展示だと思っています。

※グッドデザイン賞ベスト100でのプレゼンテーションの様子が公開されています。制作チームの代表、SSD本江さんが中浜小や展示の概要について説明しているものです。ぜひご覧ください。

Movie, Music, Photo

Posted by Hikologue